歌曲 − 歌物語 について (2001年7月9日)
編集者:今度、「歌物語」を11月におやりになりますよね。 あれは「三夜一夜」に続くものということですか。 Vol.5となっていますね。 私は、一,二は聴かせていただいたのですが、三はプログラムがないので、聴いてないのではないかと思います。
河野:三はね、小山実稚恵さんとやったものです。 まあ、いろいろなことがあるのですが、一回一回ご破算にしたくなかったんです。 ずっと演奏家としてやってきていますし、これからもそうでありたい。日本では一年に一回発表会、ではないけれども、リサイタルをやりましたという風にはしたくなかった。ですからヨーロッパにいた時と同じ感覚で続けていこうと思っているのです。 一回一回またやりました、またやりましたは、やりたくない。リサイタルはコンスタントにやってないと自分ができないと思うんですよ。僕は恵まれていてホールなどに協力して頂いていますが、ヨーロッパのようにどこそこへ行って歌ってくればいいというのとは、ストレスも労力も大分違います。 日本では比べられないほど大変な仕事です。ヨーロッパでは、何月何日にどこそこへ行って歌えという、それだけです。 プログラムも出したらそれで終わりです。 日本では、プログラムをだしてもそれで終わりではなく、チラシをどうする、歌詞カードをそうするなど全部やらなければいけないのです。
演奏会というかリサイタルをやる自分を保つためには、コンスタントにやってないと保てないとも思うのです。 そうでないとようやくのって来たところで終ってしまうというようなことになるわけです。 感覚を取り戻すのが大変難しくなります。 コンスタントにやっているから、舞台での感覚を維持できると思うのです。 そうでないとどんな人でも、舞台の上で脚ががくがくしたり、どうしよう、大丈夫かなと思ったりすることになるので、それをしたくないのです。 この三年間は、東京都内での自分のリサイタルは年間三回から4回のペースできています。 一回一回の河野克典リサイタルというのではなく、なにか統一性を持たせたいので、「歌物語」という名前で始めたので、そのままというわけです。自分が責任をもってやるものに関しては、です。
今年は「冬の旅」をやるし、「水車小屋」を来年7月5日にトッパンホールでやります。それでこの秋からのシーズンはシューベルトの3大歌曲集を全部やることになります。2月には銀座の王子ホールで「冬の旅」を歌います。
編集者:今度の歌物語というのは、どんな・・・
河野:今度は「白鳥の歌」です。ただ「白鳥の歌」だと約40分なので、その前にシューベルトの歌曲集を加えてシューベルトの夕べにするつもり。「冬の旅」もあるから、「水車小屋」もやろうということになった。「白鳥の歌」は、今回なぜそうなったかというと、カザルスホールの自主公演は今年で多分終わりだと思うのです。 これまでもカザルスホールでは幾度となく歌っています。それでこれまでのカザルスホールへのお礼を込めて、いや、お礼をこめてという言い方はおかしいけど、「白鳥の歌」をシリーズの最後にどうだろうかと提案したら、みんなが面白いね、それでいこうということになったのです。「冬の旅」は、今年「冬の旅」を聴きに来てくださった人が、私がスポンサーになりますから是非やってくださいということで、やることになったのです。 トッパンホールもホールの主催で、7月にあるのですが、これは2年程前からの話ですが、初めは日本歌曲をやりたいと、今までの日本歌曲と、それに委嘱作品をやれればなと、だけど委嘱作品はもうすこし準備段階がないと、結構僕はいろんな注文を出すので、多分時間が足りないだろうと思っています。 で、季節感ということで、大抵演奏家は最初ピアニストを思いうかべ、あの人だったらどういう曲がいいだろうかとか思うのですが、ピアニストも決めずに、 春だし、まだやってないし、「水車小屋」はどうだろうかと提案して、それはいいねということで決まったのです。これはこの間発表になりました。
編集者:これは来年7月ですね。
河野:そうです。そしてピアニストは野平さん。
編集者:先生のピアニストの選び方は普通の歌手と違いますね。 通常歌手の方は、わりと決まった方とやるじゃないですか。 先生の場合はその都度違うかなり有名なピアニストですよね。
河野:あの、有名か有名でないかというのは、あまり関係有りません。
編集者:あの「三夜一夜」の前にインタビュをしましたね。 インターネットでこの間聞いたのです。
河野:え、まだあれ聞けるのですか。
編集者:聞けますよ。 伴奏者という感じは嫌いだということを言っておられました。 通常は伴奏者というか、そういう感じのピアニストを求めるのではないかと思うのですが。
河野:ウンチャカチャッチャチャという伴奏なら、そういうのでもかまわないと思うのですけれど、ただ息さえあえばいいというものもあるとは思うのですが、あの、ドイツ歌曲って、言い方が悪いかもしれませんけど、もっと複雑なものですよね。 インスピレーションを演奏するほうも聴衆に与えなければいけないけれど、そのインスピレーションをピアノの音からも引き出さないといけないと思うのです。 そういう意味で、よく尋ねられるのですが、「そのピアニストはドイツ語の歌詞は分かるのですか」と。
ピアニストにはいいピアニストと悪いピアニストしかいないと思います。いいピアニストとはどういうのかというと、まず「音」がある、あと「音楽性」があるということだと思います。 要するに言葉にしても、器楽の音にしても、「音」には違いないわけで、“あ”にしても“ず”にしても変わらないわけで、我々はその音をどのように相手に伝えるかだと思うのです。 だから、それにどのように反応してくれるかに限っていると思うのです、極端に言えば。
編集者:しかし言葉がわかればなおいいのでしょう?
河野:なおいいと思います。 しかし、そうでなくとも、コミュニケーションで伝えることができます。僕はあらかじめ自分の訳をみせて、僕はこういう風なつもりで歌いたいと伝えるのです。
編集者:なるほどね。 そういう風にしていらっしゃるのですか !
河野:ええ。 借りてきた言葉でなくて、自分で作った訳で、ここはこういう語調で歌いたいというように、あらかじめ全部説明するのです。
編集者:ドイツ歌曲はよく聴いていると、歌い手と伴奏は、ついたり離れたり、時には、話し合ったり、時には全く別の事を言ったり、歌い手の後ろに回ってバックグラウンドをやっていたり、前にでてきたり、非常に複雑な作り方をしているんですね。
河野:複雑です。
編集者:そういう意味では二人の間の、今の言葉でいえば、インタラクティヴな関係がないとむずかしいのでしょうね。
河野:お客さんにとっても新鮮な音楽である必要があると思いますが、演奏している僕にとっても、段取りの音楽はしたくないのです。 ここのところは、「はい、手を上げました」、「ここでジャンといれました」というようなことは、僕はしたくないのです。
編集者:あくまでも、その場の、お互いの反応でとうことですね。
河野:そうなってくると僕が興味あるのは、まず僕にインスピレーションを与える「音」を出してくれるか、そういうタイミングとか音楽的なものは、どの程度のものか、そこです。あとは、相手がそれに応じてくれるかどうか、僕がやろうとしても、いや歌の伴奏は・・という方もいらっしゃいますし。だからあの舞台に出てくれる連中は、やりたいというか、やろうよというか、まあ、いいかという感じで・・・。
編集者:それともう一つは、リーダーアーベントは、わりと女性歌手は男性ピアニスト、男性歌手は女性ピアニストが多い気がするのですが。そういうことからみると、相性は異性の方がいいのでしょうか。
河野:どうですかね。
編集者:先生は全然そんな風には感じないのですね。
河野:うーん。反対に、その人たちがどういう理由で異性を選んでいるのか分かりませんが。
編集者:私もそれは分かりません。ただ表面的にみていて、経験的にいうと、そういうことが多かったというだけですけどね。
河野:うーん。男声の場合は?
編集者:女性ピアニスト。男性と男性、女性と女性というのは、あまり見たことがないです。
河野:基本的に、言いたい事が言える相手でないとダメだと思うのです。
編集者:ああ、なるほど、そういうことですか。
河野:お互いに言いあえる環境が作れる関係、 女性である必要もなく、男性でないといけないということもないと思います。その人が面白いと思うか、ほんとに真剣勝負してくれるか、要するに演奏の場での段取りではない、段取りはお客さんにみえてしまう。それはオペラでも同じです。もちろんオペラでは段取りはありますが、なぜこういうように動くかという勢いがないと出来ないものがあります。で、歌曲もオペラも僕は区別せずに歌っているつもりで、歌曲もオペラと同じと思うし、またオペラも歌曲と同じということで、どちらがどちらということは有りません。要するに舞台での真剣勝負で、僕がこう歌ったらそれに反応してもらいたく、僕がこう歌ったけど、ああ分かってくれなかったという風にはしたくないと思うのです。
お客さんの聴く時間は、座ってらっしゃるわけだけども、僕もある意味で舞台の上で楽しんでいたい、そして楽しむに値するピアニストであればいい、それには、ピアニストは若かろうが、無名だろうが、有名だろうが年配だろうが構わないと思います。たまたま、今までやったのは名前の出ている連中だったけど、あの連中は僕と同世代なのです。清水和音君にしたって、横山幸雄君にしたって、前から知っているし、横山君の場合は、彼がシューマンのチクルスをやっている時に、僕とやりたいと言って、声かけてくれたのが縁で、ああ面白いなと思ってやり、今度は僕の方からどうと言って投げかけたのでした。演奏家同士の交流がもっともっと盛んになっていればいいので、だから名前があるからではなくて、僕は決める前にその人の演奏会があれば聴きに行くし、この人とやりたいと思ったら生の演奏を聴きに行くのです、野平さんもそうですね。演奏を聴いて、ああ、面白いな、この人とやってみたいなと思ったのです。
編集者:そのピアニストが伴奏しているのを聴くのですか。
河野:ソロです。この人だったら、どういう音楽が出来るかなとか、どういう仕掛けをしてくるかなというように、そういうように音楽にチャーミングなものがあるかどうか、生を聴いて、一緒にやってみたいと思ったのです。
河野:歌のプログラムというのは、短いじゃないですか。2分とか3分とか。オペラのアリアで違うのは、やはり、1曲1曲が、連作歌曲は別として、全く違う、たとえばプログラムの前半、後半含めて、一つ一つの粒は小さいかもしれないが、それらが集まってどうなるかで演奏会は成立すると思うのです。そういう意味で、自分は、一つの演奏会を、どういう風な軌線を描いてお客さんを帰すかということを考えて作っているのです。 一回一回のプログラムに対する自分のポリシーもあるし、そういうものをすべて自分がこういうことをやっているんだということを示すために、歌物語ということになっているのです。
歌物語といわなくともいいのですが、たまた最初に三夜一夜でやった時につけたので、本当は五回でやりたかったけど、五回は、いろいろと大変で自信が無かったもので、三回にして、あれだけ選んで、あれはこういう風に、一回目はベートーベンとあと自分のチャレンジにチェロを入れて、二回目は「冬の旅」、三回目は全く違う、フランスものやリストをやったのですが、それは三回で、いろいろな、まあ、幅としては狭いですけど、個性をだしてやった、それを少しずつ増やしていけばいいと思っているのです。
編集者:それは凄くいい試みだと思います。 私のような素人にも三夜一夜物語ということで、三つのリサイタルにつながりが感じられます。今度歌物語Vol.5とくると、ああ、そうか、これは前からのつながりで、一貫した何かを追っかけていらっしゃることが分かりますね。 今お話のあった最初の時のチェロは素晴らしかったですよ。
河野:あの、やっぱり、日本で日本のものをやるのは別ですが、欧米のもの、イタリア語であれ、ドイツ語であれ、フランス語であれ、お客さんには、やはり、難しいものだというのがあるんですよね。それにもかかわらずこういうものばかりやるのは、それはある意味では自己満足かもしれないけれど、自己満足をいかに抑えて、お客さんにも楽しんでもらうかという葛藤ですね。いつも選ぶ時に、まったく新しい曲ばかりでなくて、お客さんが知っている曲も三分の一は入れよう、あとの三分の二は知らない曲かもしれないけど、こういうつもりでやりたいのですということを理解してもらえるような演奏にしたいといつも思っているのです。僕がドイツ語でやることは、ある意味では僕のエゴかも知れませんが、あえて皆さんが付き合っていただく以上、まず一番に考える事は、お客さんがなじみやすい曲です。お客さんになじみのない曲については、やはりわかりやすいようなアプローチの仕方ができればなあと、むずかしいですけどね、やりたい曲、は一杯あるけれど、果たしてそれを勝手にやったら付き合ってくれる人はいるかもしれないけれど、だんだん、河野克典の演奏会に来る人が少なくなってしまうかもしれないですね。
編集者:確かにね、聴いていてその世界にすぐには入って行けない曲ってありますね。
河野:ありますね。
編集者:何度も聴かないと旋律にも慣れないしね、なにがなんだか訳がわからないというのが、確かに一杯有るんです。やっぱり、聴く側からすれば、親しみのある曲を入れていただくのは、大変重要なことだと思いますね。
河野:歌いたい曲は一杯有るんですが、それを全部やっちゃうと、お客さんは来なくなるでしょうね。
かといって、日本歌曲と、フランス歌曲、ドイツ歌曲をごっちゃにして、最後はオペラのアリアでまとめるというような、そういう風にはしたくないのです。
編集者:そういうのはつまらないですね 何らかの思想統一というかあって、おっしゃったような意味での親しみやすい曲と、それからもうちょっと先に行って、歌の世界に入れる曲でやっていただくのが一番ありがたいですね。
河野:ええ、啓蒙的な曲。
「冬の旅」、曲名は知っている、「菩提樹」は知っている、しかしあとは知らないというかたが殆どです。「水車小屋」、うーん、「白鳥の歌」。うーん、ああ、「セレナーデ」は知っている、そういう時「セレナーデ」以外の曲をいかにお客さんに興味を持たせるかだと思います。毎回プログラムつくり、ヨーロッパ用のプログラムは別の意味でむずかしいのですけど、日本のプログラムは、どの曲だったら分かるかな、導入として迎えられるか、それを何曲入れるか、ですよね。やっぱり。
編集者:「冬の旅」はほんとに難しいのではないかと思うのです。もちろん、よく知っている曲はいくつか有りますよね。
河野:「冬の旅」は、やはりその名前と「菩提樹」しか他の人にはわからないと思うのです。
編集者:あそこで歌っている内容というのは、大変な内容ですよね。きわめて、なんて言ったらいいんだろう、哲学的ですらある内容だと思うんですよね。
河野:「冬の旅」というのでだましだまし来て、 終って、やはり、「冬の旅」という曲名と「菩提樹」しか頭に残らないなら、僕は「冬の旅」やれないなあと、そういうことがないようにと肝に銘じて頑張っているのですけどね。
編集者:「お休み」から始まって「辻音楽師」。あそこは、音楽としては素晴らしいものだと思うけれど、ああいうのを聴いていて・・・、 Mitleiden(共に悩み苦しむ)というのがあるでしょう? そういうことを聴衆が感じるのは並みたいていなことではないという感じがします。 「冬の旅」「菩提樹」「シューベルト」というと非常にとっつきやすいけれども、実はそれをもうちょっと理解しようとすると、これはまた大変な世界だなあと。そういう意味では「水車小屋」の方がまだ、まだ明るいですしね。
河野:「冬の旅」なんかは、お客さんをいかにしてくら―い雰囲気にして帰すかじゃないですか。いつも言われるんですけどね、 冬の旅のあと、アンコールしないんですかと聞かれるのです、そりゃ出来ないですよ、「冬の旅」というのは、歌の演奏会のプログラムの中で唯一、お客をいかにして暗ーくさせるか、ということにかけてるプログラムです。全曲でどん底に落としておいて、そのあとで「嘘でした」なんて言えないでしょうと言うのです。 ただやはりプログラムで、お客さんに最後にどういう気持ちで帰ってもらったらいいか、「冬の旅」のようにくらーい重苦しい気持ちでカザルスホールを後にしてもらって、あの坂を登るか下るか分からないですけど、まあ足取りがそういうことになるかです。それを想像しながら1曲目からかえす訳じゃないですか。 他のプログラムでも前半はこれで、こういう気持ちで終ってもらって、休憩して、飲み物を飲んだりして、リフレッシされてまた耳に入ってきて、また会場についた段階から、どういう状態でお客さんが入ってくるか、特に、ヨーロッパの場合はそれほどではないのですが、日本では、それまで息きらせながらついたりとか、仕事をやっと終って人ごみをぬけてきたりとか、するわけじゃないですか。まず来てどういう状態の耳になっているかも含めて、その耳を自分に向けるためにどういう曲にするかと、他の演奏会とは違うことを考えちゃうのです。 それをいかにして、前半を終えて、また後半につくときには、どういう感情で席についてもらいたいか、それにどういう風に僕が答えるのかとか、どのような気持ちで最後曲を聞いてもらって、その時には、お客さんはスカーッとするのか、シーンと終ってもらいたいのか、 終っても、数秒間拍手もないような感じに聴いてもらいたいのか、それはそうなんだけど、アンコールでやすらかな気持ちで帰ってもらおうとか、たとえばマチネだったらスカッと爽快な気持ちでとか、やはりいろいろ考えるわけです。
プログラムはそうですね。あとプログラム全体を通して、たとえば「冬の旅」なら「冬の旅」という単語、「菩提樹」という単語からいかに聴衆の想像力をふやすか、ふくらますかだと思います。それは演奏だと思っているんです。「冬の旅」で言えば、その男性がふと目の前に立っているという感じの演奏ができればなあと思います。歌曲ってのは、ほんとはそれができるものだと思います。オペラもそうですけど。歌曲というのは・・、 うまい語り手というのはやはりそうじゃないですか。
フィッシャー・ディースカウのところに行って何が一番良かったかというと、彼っていうのは、立って歌ってくれたときに、背後霊のように後ろに登場人物が見えるんですよね。瞬間にして表情も変わるし。もちろんステージで歌っている時もですが、もっともステージの時はちょっとオーヴァーな時があるので、ふっと前で歌ってくれたとき、本人が変わるじゃないですか、ああ、役者だなと、それで歌っていうのはオペラだろうが、歌曲だろうが、同じように・・・。
編集者:私は、フィッシャー・ディスカウのシューベルトの歌曲の公開レッスンのひとつをビデオで見ましたが、「春の夢」で冬、窓ガラスに木の葉のよう氷の花がついているところがあるじゃないですか、あのときの彼の表情をみていて、その人物になりきっているのがすごいなあと感激したことがあります。
河野:一瞬一瞬なっちゃうのですね。だから演奏家はやはりそれができないといけないと思うのです。そうなった時に「冬の旅」と「菩提樹」という単語しか知らなくても、視覚的に表現できるものが一杯ある・・・。
編集者:ということはオペラと通じるものが。
河野:いや全く一緒だと思います。ただオペラと歌曲との違いは、オペラは、相手役があるし、大道具小道具があり、衣装はある、一方の歌曲の場合は、動くわけにはいかないし、手を広げる、あげるまでもいかない。
編集者:わりと窮屈ですよね。
河野:そこに制限はあるものの、一緒だと思います。
編集者:微妙な顔の表情とか体の動きとかを、聴衆も感じなきゃいけないのですね。
河野:聴衆にそういうのを感じさせるように、もっていくというか、そこまでやるといやらしいかもしれないけど、 舞台にでたときから礼をする時まで、すべてオペラだと思えば、いいんじゃないかと思います。
編集者:今のお話しは考えてみると、合唱にも通ずるところがありますね。
河野:そうですね。
編集者:それぞれ、パートではあるけれど一つの曲を創っているという意味では。
河野:機械的に歌うのではなくて。というか、あの、声というのは、表情がないと、なんと言えばいいかな、楽しい歌を歌う時にこんな顔を(無表情)していても楽しくは聞こえないじゃないですか。それはやっぱり表情だけではなくて発声だと思いますが、ということは歌っている感情が分かって歌うときは、いい声がでると思います。だけどなにを歌っても同じように記号のように歌うのでは、声は死んでしまいます。
編集者:ああ、そのお話は、もっとくわしくうかがいたいのですが、残念ですが、時間がきてしまいました。また次回ということで、今日は大変興味深いお話をありがとうございました。
(編集者 7月9日)