(推薦)
まずパワワルでどこまでも伸びていく河野克典の声の美しさに惹き込まれる。まさに美声中の美声。世界の今の若手のどのバリトンにもヒケを取らぬ緻密な声のひびきと、旋律に豊かな生命力をそそぎ込んで、聴くものの心を充たしていく音楽の力を内的世界に展開していく河野の歌唱は、この数年のうちの目を見張るばかりの成長をここに示した。
「白鳥の歌」全曲を歌うのは「冬の旅」や「水車小屋」とはまったく違った歌唱のテクニック、詩へのリアクションを必要とし、一貫した技法では処理できない歌唱上のむずかしさが山積する。前ふたつの歌曲集は、一人の主人公の心理的状況に沿って歌の世界が展開するが、「白鳥の歌」はシューベルト自身がひとつのコンセプトにしたがって書いていったものでないだけに、各曲の性格がひとつのものに集約しきれない。かろうじてふたりの詩人、レルシュタープ群とハイネ群、おまけのザイドルといった三人の詩人の内容をひとつの歌曲集の枠に収めるという難題、それに声の音色の多様さも併せて要求され、ピアノ奏法も、ハイネの詩に出会ったシューベルトの天啓とも言える”ひらめき”が、ここには”おどろき”とともに用意されていなければならない。
私はかつて、河野がまだ日本では無名のころのデビューリサイタルの評を朝日新聞に書いたときのことを思い出す。それに比して今回のなんという成熟と精進ぶりだろう。その最初のリサイタルの初々しいデビューぶりも感動的だったが、今の河野はもはやゆるぎない”リート”の世界を確立し得ている。世界に確実に受け入れられ、高い
評価を得るだけの内容を、この「白鳥の歌」は示し得ている。
2001年のカザルスホールでのライヴだけに、こまかい点をつつけば完璧とは言い難い箇所も拾えようが、そうしたところを超えて、シューベルトの「白鳥」に肉薄し得た彼の歌唱と、もうひとつ、野平一郎の、これもすばらしいの一言だけでは書ききれないほどの、名ピアノの充実さを書き落としてはなるまい。各曲の持つそれぞれの楽型の意味、その構成、その詩が必要とする音色、すべてに心の通ったシューベルトのナイーヴさが映されているのがなんとも嬉しい。
あと望むとすれば、日本人にとっての、難題とも言える”長大な呼吸による一フレーズの完結性”であろう。一息でほしいところが、やむなく息継ぎせねばならないのは、なんとも惜しい。ここまで到達できた河野なら、次回の「白鳥」はここをのり越えられるはずだ。(畑中)
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